ギランバレー症候群 リハビリ 治療

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ギランバレー症候群の治療とリハビリ、2015年4月に発症から2017年9月現在に至るまで。


プロフィールにはこっそり書いていました、私はギランバレー症候群にかかり、検査、入院、治療、リハビリ、と今まで行ってきました。
そんな体験のお話をメモとして記事にしてみることにしました。

ギランバレー症候群発症当時、病名を聞かされても全くわからずでした。
体が全く動かない。かろうじて呼吸器系は無事だったのですが、動くのは目のまばたきと、ろれつが悪いが口を動かすことくらいしかできなかったです。
ひたすらに、不安しかなかったです。
この病気についてブログを書いている人も全然いないし、病院の先生も職業上、「治る」とは言わず「良くなる」しか言わないし。不安な毎日でした。

10万人に1人と言われる難病にかかってしまった体験を書いてみたいと思います。
参考になればと思います。

※ ただし、この病気についてはかなり個人差があるようですので。あくまでも私の体験談は一例として紹介します。

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ギランバレー症候群について

感染する?

まずはじめに多く検索されているテーマについて紹介します。
この病気は、伝染性ではありません。また、遺伝性でもありません。周りにこの病気の方がいてもうつることはないです。

原因

発症の1~3週間前に咳や発熱、 咽頭痛、頭痛、下痢などの感染症状があることが多い。
各種ウイルスや細菌による感染が引き金となり、自己免疫的機序(仕組み)を介して発症する病気と考えられています。

生の鶏肉を食べた人や、インフルエンザにかかった後に発症する人などがいる。またインフルエンザワクチン接種の後に発症したという人もいました。

病気を治そうとする自己免疫が強くはらたきすぎて、自分の神経を傷つけてしまうそうです。
ギランバレー症候群は、軸索変性(じくさくへんせい)型と脱髄(だつずい)型と分類される。
軸索型は予後が悪いとされている。
後にも記載しますが、私は軸索型でした。

症状

高熱や下痢のあと1~3週間して比較的急速に四肢の筋力低下が現れるが、おおよそ2~4週間目でピークに達し、進行は停止する。
進行停止後は徐々に快方に向かい、3~6カ月でほぼ完全に治りますが、10~20%の患者さんでは後遺症を残します。運動障害に比べて、感覚障害は軽いのが特徴。
後に記載しますが、私は10~20%の方をひいてしまい、後遺症と今でも戦っています。

顔面の筋力低下も約50%でみられる。舌や嚥下筋の支配神経に障害が出て、しゃべりにくい、飲み込みにくいなどの症状が現れることや、 外眼筋支配神経に障害が出て複視(物が2つに見える)が起こることもある。
呼吸筋の麻痺は10~20%で起こります。また、頻脈やそのほかの不整脈、起立性低血圧、高血圧など自律神経が損なわれた症状が現れることもある。
私の場合は、顔の筋力低下、舌の筋障害、嚥下障害を発症しました。簡単に言うと、発症した翌日にはベットに寝たきりで動くのは、まばたきと、多少の首振り、顔面麻痺により言葉もうまく出ない状況でした。嚥下とは、飲み込むことで、飲み物と食べのは喉を通せなくなったので、胃まで管を入れていました。また、トイレにも行けないので、管を通していました。
運動神経系がダメになりましたが、感覚神経は大丈夫でした。先生が「触っているのはわかる?」というのに対しては問題なかったです。

発症から入院まで

2015.4.18_0日目

風邪のような症状。高熱と下痢。家の近くの町医者へ。診断結果は胃腸炎でしょうとのこと。

2015.4.20-21_1-2日目

月火曜日、まだ高熱と下痢が続くため会社はおやすみ。

2015.4.22_4日目

水曜午後、体はだるいものの、熱は下がり会社へ出勤。

2015.4.24_6日目

会社にて。
金曜日午後、手の指先の不思議な感覚。特に左手の小指が痺れている?
また、何もないとことで左足がつまずくような気がする。

2015.4.25_7日目

朝、だるさが増す。足の動きがおかしい。なんか変な感じ。腕もなんか上がりづらい。
もともと腰痛持ちだったため、「ヘルニアで足の神経系がきちゃったかな、、、」と思い、整骨医院へ。
整骨医院でレントゲンや検査をするものの、異常なし。特に処方もなし。

夜、出かけた帰り。
通常時では考えられないような平の場所で転ぶ。駅から家までタクシーで帰ろうとした。しかし、タクシーに乗ることもできない。なんとか乗り込んで家の前までついたが、タクシーから降りることができない。体が動かない。
自力で部屋のある4階まで階段を登り部屋へ。

寝れば治るだろう。と早めに寝る。

2015.4.26_8日目

朝、完全に体がおかしい。左足首が動かない。その他もうまく動かない。握力もないし、スマホを握れず落とす。
顔も洗うことがない、というより気力がない。

親へ電話(したそうだがよく覚えていない)。救急車を呼んで病院に連れて行ってもらう、と連絡。
119 で救急要請。この時は自分の状態を救急の方にうまく伝えていたと記憶している。
担架で救急車まで運ばれ救急車の中で診察。
感覚に異常はない、動向も正常、脈も血圧も異常なし。筋力の低下が見受けられるということで、横浜の病院へ。

横浜の病院にて。
腱の反射確認をするが反応がない。運動神経がやられているようだ、とのこと。
もうこの時は自力で起き上がることもできない。
ただただ寝たまま父と先生の話をカーテン越しに聞いているだけ。ギランバレー症候群かもしれない、という言葉を聞く。
何が何だかさっぱりわからない。

とりあえず横浜病院へ入院。

2015.4.27_9日目

横浜の病院で目がさめる。
朝食の時間ということでベッドに食事が運ばれるが、ご飯が飲み込めなくてむせる。
自力でトイレにも行けない。

横浜の病院では見れないということで、
川崎の病院へ転院。「神経外科」へ入院。
血液検査、髄液検査を実施。背中から髄液抽出はとても痛かった記憶。
ご飯、飲み物は飲み込めないため、鼻の穴から胃まで管を通す。また、トイレも自力で不可のため、膀胱に管を通す。

病院の病室生活が開始となった。

■診断の結果■
ギランバレー症候群と診断。
原因は不明。「生の鶏肉を食べた?」と多くの医師、看護師から聞かれたが全く心当たりなし。インフルエンザになってもいないので、私の場合は本当に原因不明でした。
軸索型と脱髄型とあるが、治りが遅いかつ後遺症が残るかもしれないという「軸索型」と診断された。
病院の先生は「治る」とは言わず「良くなる」という言い方しかしてくれなかったです。

ただの高熱、下痢からここまでとは全く想像もしていなかったため、不安な気持ちになりました。

病院入院〜リハビリセンターへ転院まで

2017.4.28_10日目から

治療開始。
治療の方法は二通りあると言われました。免疫グロブリンの大量静注療法、または血漿交換療法が有効な治療法とのこと。
効果は両方同じ割合くらいということだったので、点滴を選択しました。血漿交換両方は血液を交換するということで、動脈を外部装置に出すための手術が必要とのことでした。
同じ割合なら、ということで点滴を選択しました。

免疫グロブリン大量静注療法は0.4g/kgを5日間連続して点滴する治療です。一回の点滴には6時間くらいかかりました。
症状の重さでこの量は変わるそうですが、私の症状は重い方だったため、フルで点滴をしてもらいました。
一本数十万円する点滴を1日に三本、それを5日連続で行いました。これを1サイクルというのですが、私の場合は2サイクル行いましたので、治療費だけで300万くらい…。入院費や食事代は別ですので、、、。
大変な病気になってしまった、、、と日々考えていました。
費用は難病ということで助成があったり、会社の健康保険で助けられました。
いろいろ手続きしてくれた両親には感謝しております。

病室生活。
看護師さんは明るく接しやすい方々ばかりでした。男の人も多く、特に下の時には男性看護師の存在がありがたかったです。

2015.5.11_4週目

発症してから最も悪い時期。4週目がピークと言われる。

食事の時間は2時間くらいかけて流動食。
朝昼晩、毎回2時間かかる。この時は体制も起こされたままなのできつかった。
テレビのリモコンも自分で押せないため、看護師さんにつけてもらったりした。

また、ナースコールも押せないため、療法士の方にボタンを腕で押せるように改良してもらった。
自力で寝返りもできず、1時間に数回、ナースコール。寝返りが打てないのってこんなにきついんだと思う。

体が動かせないことから神経痛になり、夜も眠れず。
夜には過呼吸になってしまって、毎晩夜を迎えるのが怖かった。
太ももから下の神経痛がひどく、親に「足を切断してくれ」とも言っていたよう。自分ではよく覚えていない。

リハビリ開始。
病院ではまずは「車椅子に座ること」から開始。
自力で起き上がることは不可能でしたので、看護師さんに抱えられながら車椅子へ移動。
体幹も失ってしまったので、座る姿勢も取れない。
また、お尻の筋力がなくなってしまったので座っていることがきつい。

病院内のリハ室に通い始める。
と言っても車椅子で運ばれ、硬くなってしまった筋肉をほぐしてもらう程度。
手の指先、肩周りも全く動かず、固まっている状態。
指を開こうとされるが痛みで広げられない。

2017.5.18_5週目

4週目と比較し、体に悪化はない。ただし、改善しているとも思えない。
「ギランバレー症候群」について調べたいが、スマホも持てないため、天井ばかり見つめる日々が続く。
両親がお見舞いに千葉から川崎まで通ってくれた。自分で調べられない病気のことについてたくさん調べてくれた。「神経系の病気」で唯一予後がよくなる、ということを聞かされ、リハビリを頑張ろうと決意した。
また、会社の同期や友人が本当に何度も何度もきてくれた。寮から病院が近いとはいえ、仕事帰りなどにもきてくれて本当に頑張って治さなくてはと思った。
差し入れなども持ってきてくれたが食べられず、そのまま持って帰ってもらったことも。

5週目になると車椅子へ座っている時間も延びてきて、30分程度だったら座っていられるようになった。
ただし、背もたれは傾斜つきの車椅子。背中が固いからか傾斜がないと座っていられない、気持ちが悪くなってしまう。
面会の時だけ起き上がらせてもらい、あとはベットに寝たまま。

2017.6.1_7週目

車椅子に座っていられる時間が伸びてきた。療法士の方に毎日2時間は座ってみましょうと言われる。
ただきついので、何度かに分けてトータル2時間座っていられることを目標にした。
この時には、会社の同期が大量の漫画を持ってきてくれたので車椅子に座って漫画を読むようにした。指は動かせないものの、電子ペーパーだったため簡単に次ページへ送れるのは助かった。
ただ、タブレットを持ち上げること、タブレットの電源ボタンを押すことができなかったため、看護師さんに漫画を読めるようにセッティングしてもらったこともある。これは自分でもおもわず笑ってしまった。「漫画読みたいんで、車椅子にお願いしていいですか?あと、セッティングして電源入れてください」こんなこともできなかったが、漫画を読んでいる間はなんだか座っていられた。
そのうち今度は映画を入れたものも持ってきてくれたりして、暇な時間が膨大な入院生活を過ごしやすく変えてくれた。

体重はもともと63kgあったが、最も低い時で49kgとなった。
ものが食べれない、体が動かないだとここまで落ちるのかと思う。

リハビリについて。
■上肢、手
少しずつ動くようになってきた。しかし、物をつかむことはできない。
動くと言っても腕をあげることくらい。指は開かない、手首も動かないため、垂れ下がったまま。手首を返すこともできない。直径10cmくらいの木片を両腕で運ぶ練習から始まった。手ではつかめないので、腕で運ぶ。
あの手この手で、スマホも少しずついじれるようになる。イヤホンを枕において首を動かしながらイヤホンを装着。音楽を聞くのが日課になっていた。
ガラケーじゃなくてよかった。握力がないため、ボタンの押下は相変わらずできない。スマホだったからこそ操作ができた。

■下肢、足
左足が全く動かないため、何もできず。右足首はほんの少しだけ動く。右足指先も少しだけ。
自力で立ち上がるなど皆無。

■嚥下
スプーン一杯の水がのみこめるかチェック。口の中に含むことはできるが、飲み込むのは何とか、何とかできるようになってきた。

2017.6.8_8週目

転院が見えてきた。病院から、リハビリ施設への移動とのこと。病院でできるリハビリには限度がある。また、入院期間も決まっているため、千葉の転院先を探す。千葉が実家だったため、千葉で病院を探してもらった。
「千葉リハビリテーションセンター」に決定。転院日は来週。

リハビリについて。
やればやるほど向上している。

■上肢、手
少しずつ動くようになってきた。2cmの木ペグを手首を支えられながらだがつかめるようになってきた。
これだけでもかなり嬉しかった。作業療法士_畑中さんはいろいろなことを思考錯誤しながら考えてくださった。
病室のベットで自力で起き上がれるようになってきた。しかし、起き上がり方は腹筋がないので、腕をベッドの枠にからみつけて、押し上げて起き上がるような、精一杯の力を込めておきがっていた。

■下肢、足
太ももを少しだけあげられるようになる。2〜3日前にできなかったことができるようになってくる。
動かないものの、作業療法士_相沢さんは「頑張りましょう!」と気持ちのいいくらい元気で、活力をいただきました。
吊り上げ式の歩行器を使って歩行訓練を実行。足にかかる負荷をほぼなくし、体重49kgを45kgくらい持ち上げて歩行訓練。不思議なことに「自分の身長ってこんなに高かったのか?」と感じた。ずっと車椅子生活だったため、すごく高く感じた。
気持ちのいい感覚だった。

■嚥下
ゼリーくらいなら食べられるようになる。ずーっと鼻管だったため、口から物を取り込むのは久しぶり。言語聴覚士_辻さんのおかげで口から食べられるようになったのは本当に嬉しかった。
食事はミキサー食が出てくるようになった。
例えば記憶にあるメニューが、
ご飯:見た目は白いゼリー、味は、かなりやばかった記憶
鯖の味噌煮:見た目は茶色いなにか。味は確かに鯖の味噌煮
味噌汁:具なし
みたいな料理。お世辞にも上手いとは言えない。ご飯は見た目も大事だなと思う。

でも全部食べられないため、並行して鼻管からも栄養を取っていた。

ギランバレー症候群

鼻管をしていた時の自撮り

なんとか自撮りができた。Tシャツは同期がゴールデンウィークに八丈島に行ったお土産。このTシャツを着ていると、看護師さんに「釣り好きなの?」「島好きなの?」とすごい聞かれるようになった。なんだかんだ楽しかった。
同期がお見舞いに来てくれるたびに、このTシャツ洋服棚の一番上に並び替える。「明日の風呂の後もこれ着な」と言いながら。お風呂に入る時には一番上のTシャツを着替えとして持っていくので、さっぱりした後は八丈島Tシャツというのが多かった笑

入院生活を楽しくさせてくれる時間は、同期や友人、両親、彼女さんがお見舞いに来てくれることでした。本当に感謝している。

2015.6.15_9週目_病院最終日

■上肢、手
右手首を支える装具を作成していただいた。これを装着することで直径5mmくらいのものをつかめるようになった。マッチ棒の太さのものである。
ただし、テーブルの上猪井てあるものはつかめないため、おわんなどに入れた状態の棒を運ぶトレーニング。
左手は小指が割としっかりしてきたので、装具なしで少しは動かすことができた。
ベットでの自力での起き上がりは可能になっていた。
タブレットの電源の入れることができるようになっていた。

車椅子へ自力で移動はできなかったが、乗せてもらえば数メートルであれば自走できた。

■下肢、足
吊り上げ式の歩行器で25kg持ち上げられた状態で歩行ができるように。ただし、左足首は動かないので、装具あり。

■嚥下
転院1日前にミキサーからおかゆ(かなり細かいが)になった。
食べた瞬間、ご飯の美味しさを二ヶ月ぶりに感じた。思わず「ご飯の味がする!」と言った時には言語聴覚士の方と一緒に笑いました。
鼻管を外して転院となった。

ギランバレー 全粥

聖マリアンナ病院での最後の食事

2015.6.16_9週目_転院

千葉リバビリテーションセンターに車で移動。

千葉リハから退院まで

2015.6.17_9週目

リハビリセンターでは基本的に「自分でやる」のスタイル。自立に向けて自分で何もかもできるようにする。
リハビリの時間も病院では1コマ20分くらいだったが、リハビリセンターでは1コマ約1時間。

細かく書かないですが、かなり頑張りました。自分で言うのもなんですけど。
リハビリしかやることがない環境というのはとても良い環境で、体改善のみに務められました。

■上肢、手
作業療法士_菊池さんと目標を設定。一眼レフでまた写真が撮りたい。大好きな写真をまた撮れるようになりたいと伝えました。
その他に、バドミントンができるようになりたいということも。もちろん、この時にはラケットなんて持てませんでした。しかし、リハビリのやる気はかなりあったので、目標を大きく持ちました。
また、会社復帰のため、パソコン作業や、細かい作業ができることも目標にしました。

■下肢、足
理学療法士_鈴木さん
爽やかな方で毎日楽しくリハビリができた。
ベッドから車椅子に自力で移る練習、太ももや足首の強化、装具の相談などなど行いました。

■嚥下
舌の形がまだ変形していたので、ここを治すことと、固形物を食べれるようになることを目標にしました。
言語聴覚士の上野さんも明るい方でいつも楽しくリハに取り組めました。

2017.7.1_11週目

身の回りのことは少しづつできるようになってきた。
できないことは、トイレでズボンを下ろすことや、食事の時にヨーグルトなどのふたを開けること、着替えは特に靴下を履くことが最も大変でした。
風呂も自力での移動は不可のため、車椅子でシャワーの前まで運ばれ、体を洗ってもらっていました。自分では手が届かないし、動かせない。されるがままでした。

ベッドから車椅子への移動は自力で可能に。
ギランバレー症候群

歩行器を使って立ち上がることに成功。
しかし、筋力不足で膝から落ちることも。床に落ちてしまうと自力で立ち上がることができず、誰かにヘルプを求めていました。

嚥下の方はだいぶ良くなってきた。

2015.8.1_16週目

車椅子からU時歩行器へ、だんだんとシフト。

ギランバレー 千葉リハ

夜の病院でもリハビリのため、ひたすら歩いていました

夜の館内は人がいなくて良かったです。

普通食を食べれるようになりました。
粒のご飯を口にした時はうまさにほっぺたが痛みました。
味噌汁にも具が入っている、ナスがナスの形をしている。食事はとても嬉しかったです。

この時はまっていたのは読書。リハビリセンターといえど、時間をかなり持て余していたので、活字に触れようとしていました。
漫画や映画も見ていましたが笑
また、8月は夏の高校野球が毎日流れていました。この時から、高校野球を見るようになりました。
入院されている方は高齢の方が多く、いろいろと教えてもらいました。話を聞くのも日課。

暇な入院生活の中で楽しみ方を少しづつ見つけられるようになり、それをこなすために何が必要で、どう解決したらいいかをリハビリの先生と相談することが多くなりました。

椅子から床に座る時にはどうしたらいい?
床から立ち上がるためにはどこを鍛えたら良い?
ボールを投げるには腕をどう動かしたら?
箸でご飯を食べたいのですがどうしたら?
ズボンを履く時にどういう体制で履けば?
自販機で小銭を入れる方法は?
飲み物の開け方は?
缶はどう開ければ良い?
高い所の物の取り方は?
階段の上り下りの方法は?
手すりの使い方は?
洗濯機からどう物を取り出せば良い?

できることが増えてきて疑問が多くなってきました。
今までは考えたことのなかったようなこともできないのは、新しい発見でもありあました。
ひと月前を振り返ると、あの時考えもしないことができるようになっていました。

ギランバレー症候群 千葉リハ

部屋での課題、手首を使うためビスドメ

握力を鍛えるためにこんなもので筋トレしていました。

ギランバレー症候群 千葉リハ

ペンチで筋トレ

握力は測定不可能でしたので、これを握るのがやっとでした。しかし、まだ先端はくっつかないです。

2015.9.1_23週目

ものが書けるようになりました。鉛筆の持ち方がまだ変です。

ギランバレー症候群 千葉リハ

会社の同期が神奈川から千葉までお見舞いに

塗ることのリハでした。
歩行器で部屋から抜け出し共有スペースに。

ロフストという杖を使い始めた

 千葉リハ ギランバレー

ものを運びたい時には歩行器のカゴに、歩く練習をしたい時はロフストで

握力がなく、持ち手を握る力がないため、改良を加えてもらった。自主トレの時間が多くなってきた。
平行棒は毎日の日課になっていた。

 千葉リハ ギランバレー

平行棒での訓練は毎日の日課

2015.10.1_28週目

一時帰宅してみよう、となりました。
リハビリセンターはリハビリに適した環境だから、自宅で課題を見つけてきてください。とのことでした。

この時の体は、
U時歩行器からロフストに変わっていました。

左足首は動かないため、ゲイトソリュ−ションという装具を購入していました。
ゲイトソリューション ギランバレー
これをつけて、ロフストを持って自宅に帰ってみました。

玄関に手すりがないことや、
風呂場の使いづらさ、
二階へ向かう階段、
などなど課題をリハビリセンターに持って帰り、また克服のために努力しました。

2015.12.24_43週目(発症から8ヶ月)

リハビリセンター退院
クリスマスイブに退院ということで記憶によく残っています。私生活は問題ないということで退院ということになりました。
しかし、これからは1週間に一回外来で千葉リハに通うことになりました。
自宅でできない事を見つけて行こうという事になりました。

相変わらず左足首は動きません。軸索型は予後が…とか書いてありました。
でもこの時には焦りや不安は当初に比べて少なく、少しずつ治そう いつからかそういう気持ちに切り替わっていました。

外来で通院から現在まで

2016年から通院で通うようになりました。
なんと、車の運転で通院していました。
左足首は動かないものの、ハンドルを握る事、アクセルを踏む事、安全確認などは問題ないため、車の運転を許可されました。

少しずつバドミントンラケットを持つ事もできるようになったり、
趣味の写真を再開する事もできるようになりました。

会社は休職中でしたので、千葉の名所めぐったり、リハビリセンターでリハを繰り返す毎日でした。
両親といる時間も増え、この年齢(26歳)で両親の元にまた帰る事ができたのはある意味幸せだったかもしれません。
一人暮らしを始めてから実家にこんなに長くいる事もないので、よく一緒にリハビリがてらお出かけをしていました。

また市営のジムにも行き始め、筋トレを疲れない程度に行う事を多くしました。
週一回のリハビリセンターでは物足りないと相談し、ジムに通う事にしました。

2016.9.29_1年5ヶ月目

復職
会社へ復職しました。
短日勤務で、毎週水曜日休み。
水曜日はジムに通っていました。

2017.6.13_2年2ヶ月目

外来の病院最終日
もうリハビリセンターでできることはない
ということで、千葉リハ卒業になりました。
会社も週5勤務に戻りました。

2017.9.24_2年5ヶ月目

現在です。
握力は30キロ弱まで回復。
通勤は満員電車の時もつり革につかまれるので問題なし。

ただし、左足首麻痺の後遺症が現在でも残っています。
今でも装具をつけて生活しています。
障害を持っていますが、外見は普通というところまできました。

左足首は動かないものの少しピクピク動くようになってきました。
両手首が動き始めた頃のことを思い出します。
今後もまだまだとレーニングを実施し、完全回復するよう頑張っていきます。

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最後に

長くなりましたが、ギランバレー症候群発症からのメモになります。
不安な方も多くいるかもしれませんので参考になればと思います。
何かあればメールで連絡くれれば、微力ながらお力添えをさせていただきたいと思います。

突然発症した病気でしたが、家族、彼女さん、友人の暖かさを身をもって体験しました。こんなに人の暖かさを感じることは病気なしではなかったのかもしれません。
今後も感謝を忘れないよう、日々生活していきたいと思います。

本記事、最後までお読みいただきありがとうございます。

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